もう遅い

'00年6月、山形県最上地方『巨木巡りツァー』企画に夫婦で参加した。
この最上地方には、日本最大級の各種巨樹・巨木が存在することが近年次々に確認されているという。
この地方を中心としたこの道の好事家たちが集い、'99年、『最上エコポリス巨木王国』(cf. 坂本俊亮著「最上の巨樹・巨木」)の樹立を宣言。
そして早速、その『大統領』に祭り上げられたのが、私の年長の従兄弟でもある大類貞夫氏。その彼からの企画参加勧誘だった。
次々に案内される巨木に圧倒されたのはもちろんだった。しかし、それ以上にも圧倒されたのは、植物に関する彼の博識ぶり。道々、参加者から矢継ぎ早に発せられるあれこれの質問に、彼はことごとく即答していた。
彼が少年時代から昆虫採集家であり、その水準も学者はだしであることは、私もよく知っていた。それに加えて、学生時代、山形県博物館館長・結城嘉美先生という人に植物学の薫陶を受けたのだという。不覚にもその経緯は知らなかった。
私はこのときすでに54歳。感動はしたが、自ら勉強を始めるにはもう遅いなあと勝手に痛感させられて帰ることとなった。


《 今からでも遅くない 》

同年翌7月、夫婦で栗駒山にドライブした。
須川湖畔で70歳代と思われるご夫婦に出会った。秋田方面から来たという。ご主人の胸に、「自然観察指導員 三浦…」のプレートがあった。そして、彼は高山植物の本を片手にし、今まさに勉強中であった。
心がグラリと揺さぶられた。オレだって今からでも遅くはないのかも…。
折りしも、
ウラジロヨウラク(名前はそのとき三浦さんに教わった)の花が咲いていた。その鮮烈な美しさは、その後の心の原点にもなった。


《 移動図書館 》

手当たりしだい図鑑を仕入れ始めた。古本屋さんにはずいぶんお世話になった。
それまでも、野山の散策は好きでよくやっていた。しかし、漫然と眺めているだけでは、その観察眼はいっこうに向上するはずもなかった。
やがて、車のトランクはちょっとした移動図書館になった。ひとつひとつ図鑑と照合…。いや、なかなか照合ができない。遅々とした歩みだった。しかし、『謎』が少しずつ解けるのは快感でもあった。


私のおおざっぱな感覚の世界観からすれば、この世の半分くらいは、植物に占められている。まさにその大半は名前さえ知らないままできた。それを放置したままでこの世の生を終えることになるとすれば、ちょっと心残りというものだ。いや、それどころか、ちょっと癪にさわりさえする。
その『謎』の世界に分け入ってみて、こんなにも楽しませてもらえるのなら、あとの余生もずっと退屈せずに過ごせそうだ。
また、自然破壊という問題も叫ばれて久しい。
しかし、その問題に対して、私にはなにひとつの実践もない。せめて今なにが破壊されつつあるのか、それを観てみよう。そこから、ではなにを護るべきなのかが見えてくるかもしれない。(後に、私は、それが「
潜在自然植生」という概念と深く関わるテーマだということを知ることとなる。)
                 



《 大風呂敷 》

しかし、記録方法には問題があった。
観て確認すれば、それで終わり。そして、片っ端から忘れる。また観てもまた忘れる、の繰り返えし。
実は、この世界では以前から私より妻が少しずつ先を歩いてきた。いわゆるペーパードライバーの妻には、野山散策のためにずっと私は『足』・サービス係としてお仕えするような位置関係だった。

それは、私が植物観察の世界に本気になって参加した後も同じで、妻は記録の点でも先を行っていた。彼女は、一眼レフ(フィルム)カメラでも記録した。メモも録った。スケッチもした。ときには標本も採取した。しかし、私自身にはそれらはどれも長続きする方法には思えず、その結果なにもしなかった。
そんな中、デジタル社会が急激に席捲してきた。そんな厄介なものはごめん蒙ると、私はもっぱら逃げ切りを謀った。しかし、まず仕事の上であえなく捕まった。やるしかなかった。自宅でもパソコンが当たり前の世の中になった。
妻がコンパクトデジカメで記録を始めた。その画像に感心した。特にこれまでは、接写といえば、一眼レフの独壇場だった。この程度の器械でも結構撮れてるじゃないか。そして、パソコン保存のコンパクトさ。私も少しマネを始めた。
'05年8月、還暦を迎えた。(3人の)子供らがささやかな祝宴を設けてくれた。これからの人生の抱負を訊かれた。
つい、大風呂敷を拡げてしまった。
「パソコンで、マイ植物図鑑でも作ろうかと思う」。


《 理想は完全ビジュアル図鑑 …》


初心者にとって最大の関心事は、まず種の同定・識別だ。
その点で、この間もっともお世話になってきた入門書は、『山渓ポケット図鑑 春・夏・秋の花 全3巻 山と渓谷社』。いや、国語辞書などでもそうだが、小型のものでさえ終生世話にならざるをえないように、入門書といえども、終生卒業などできるものではない。
ただ、どの図鑑でもそうなのだが、1種につき1~2枚の写真(図)が普通で、それ以上はどうしても文章による説明となる。しかも、そこに書かれている内容がしばしば種の同定・識別の決め手だったりするのだが、まさに初心者であればあるほど、それらをイメージ化することは容易ではない。結局、なかなか難解で閉口することになる。
それらをすべて、一目瞭然の写真に置き換えて、どんな初心者にも痒いところに手の届くような図鑑はできないものだろうか。
待っててもできないのならば、とりあえず自分がこれまで苦労してきたあれこれや、これからも苦労するであろう勘どころやらを、自らの手で記録しておこう。
写真(図)の数に糸目をつけない図鑑、徹底した文字通りのビジュアルな図鑑。それが、私の追い求める理想の図鑑だ。『山渓ポケット図鑑…』のより懇切なビジュアル版みたいなもの。
いやいや、一介の素人が、責任のある図鑑など編集できるわけもない。
せいぜい、アマは、こういうところが見えてくるまで苦労するんですよねえ、こんな気持ちを共感できればいい。間違いのまま公表してしまうこともあるだろう。その意味でもやはり、「ノート」以上のものではない、そういう条件つきで、ご覧いただくしかない。
それでも、やらないよりはいいだろう。
                 


《 苦闘 》

一眼デジカメも買った。
職場同僚のアドバイスで、IBM『ホームページ・ビルダー(V9)』ソフトも買った。
休日・有給休暇のほとんどを取材に費やした。
それらを、ホームページ「仮想サイト」形式で編集し始めた。夜な夜な没頭した。

いや、正確には、ほぼ一日おき。一日おきに飲むから、その合い間の日…。
実は、以前は、毎日飲んでいた。とはいえ、この趣味のために一日おきにしたのではない。数年前、どこに出しても恥ずかしくないような立派な高血圧が発覚。内服治療の身となり、とうぜんせめて節酒は避けられず、一日おきで妥協した次第。今でも毎日飲んでいたら、編集作業などはどうなっていたやら。大袈裟に言えば、これも、禍福は糾
(あざな)える縄のごとし、というべきか。閑話休題。

「仮想サイト」が40MBを過ぎたあたりで、突然開かなくなった。
IBMに電話相談した。「このソフトに容量の上限はありません」とはいうが、その解決策は示されない。電器店のアドバイスで、パソコンの裏側に『メモリモジュール』なるものを埋め込んでもらったら、なんとかまた動き始めた。
100MBを過ぎたあたりで、また開かなくなった。また、IBMに電話した。女性相談員が何人か入れ替わり、あれこれアドバイスしてくれたが、やっぱり開かない。最後に、男性相談員が出てきて、パソコンの能力にもよるがこのソフトには容量の上限があるという。
「だから、大企業のホームページなどでは、複数のサイトに分けています。今開かなくなっているサイトを分割するには、リンクをはずして…」
「植物図鑑を編集しているんですが、容量はこれから何倍にも増える見込みだし、縦横にリンクされていてこそ便利なわけで…。このソフトはそもそもこういう用途には向いていないということですか?」
「はい、そういうことになります」。
    ♪な~にを~~今さら~♪(小林旭)…。
がっかりした。無知のせいもあった。複数のサイトに分けるということは、その間のリンクはあきらめなければならないと理解した。それでは、せっかくのデジタル図鑑のメリットが半々々減するというものだ。

とはいえ、より便利で優秀な編集ソフトというのもないらしい(どこかにありますか?)。分けるしかないとすればそれも仕方がない。えーい! ハンマーでぶっ壊すような感覚で、リンク解除・複数サイトへの分割作業にとりかかった。そして、新たにページ作成作業も再開したが、萎えた気分はいかんともしがたかった。
そんな愚痴を、職場の若手後輩にこぼした。
「それは、なんとかなるんじゃないですか。複数のサイトでも、それぞれをプロバイダに登録して、それからでも互いに、リンクでつなげられるはずですよ」。
また、元気が出た。作業は再び順調に回り始めた。

'07年春、一通りの編集作業に終点が見え始めた。
その矢先、ちょっとしたパソコンのトラブルが発生した。メーカーに電話して、その指示に従い、あれこれ操作したが解決されず、
「あとはリカバリするしかありません。データのバックアップは大丈夫ですか?」
「大丈夫です」。
初めてパソコンのリカバリなる作業を行った。
その直後に愕然とした。なんと、バックアップが録れていない!! 外付けハードディスクなるものを使い始めたのはいいのだが、その使い方がろくに分かっていなかったのだった。
1年半ほどの編集作業はほぼ水泡に帰した。後で気づいたが、写真記録の何割かも消えていた。

さすがに意気消沈した。立ち直るのに1~2週間かかったろうか。ゼロからの編集作業を再開した。
妻が口をはさんできた。
「植物の写真はそれ自体もうすでに綺麗なんだから、あんまり装飾的なものはいらないんじゃない?」。
実は、以前から自分でも気にかかっていたことだった。
これを機会に、すべてのページを思いっきりあっさりしたレイアウトに切り替えた。確かにこの方がいい。なまじ以前のサイトの延長のままではできなかっただろう。
文字通り、災いを転じて福となす、というところ。ほどなく、トラウマは消えた。

そして、また1年ほどの作業のすえ、'08年3月、ようやく公開の運びとなった。
その作業は息子の世話になった。
公開の直前、助言された。
複数(とりあえず5つ)の「仮想サイト」同士をリンクで結べと。なんだ、そんなことが可能だったんだ。早く教えてくれればよかったのに。
公開してからが、またタイヘンだった。(以下、[編集日誌('08年)])


《 言い訳 》

その1 これまでのところ、イネ科・カヤツリグサ科・シダ類などは、まったく手つかずだ。
だいたいが、これらは素人には難しすぎるし、今まではほとんどその余裕もなかった。いずれ、少しずつでも手がけたいと思っている。
余命が許せば、さらに、きのこ・苔類なども…と山っ気はあるが、さすがにこれらは夢のままに終わりそうだ。

その2 高山植物もほとんど手がついていない。
実は、観察を始めた頃はよく高山に出かけた。
しかし、ある日、気ついた。
蔵王で、これは「ミヤマコウゾリナ」か「カンチコウゾリナ」かなどと詮索している自分。しかし、その実、普通の『コウゾリナ』さえろくに分かっていない。なんというちぐはぐさ。滑稽、生意気、笑止千万、身の程知らず。
やっぱり、ありふれたものから着実に押さえていく、これが基本だと心を入れ替えた。
だけど、やっぱり高山はいい。たまに行くと、まさに宝の山に入ったように嬉しくなる。
一方、気になるのは、ひとつの自己矛盾。
自然観察といえば聞こえはいいが、ただの道楽のために大気を汚染しているだけではないか。自然は観察されることを別にさっぱり喜んでいるわけではない。そもそも、お前の存在自体が自然には迷惑なのだ。
せめて、高山に行ったら、効率よく取材することに努めよう。

その3 園芸品種も弱い。
昔からおなじみの品種は、おいおい極力カバーしたいと思うが、園芸店にどかどか入荷する外国産種などを前にすると、それはどなたかにお願いするしかない気になる。これはほどほどで行こう。


                                                 '08年3月







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