植物観察ノート 宮城県
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 わたしは、このTV番組で初めて宮脇 昭先生を知った。ドイツで
 生まれた「
潜在自然植生」という概念を初めて日本に紹介した
 方だという。この言葉も初めて知った。
 それは、わたしが植物観察の趣味にのめり込んだその問題意
 識の、まさに核心に触れる概念だった。

 そもそも日本列島の原風景とはどのようなものだったのか。人
 類が入り込む以前、いや、そこまで遡らなくても、せめて縄文
 時代までの風景はどんな様子だったのか。今でも原生林を残
 すような山岳地帯はそれでいいとしよう。しかし、今われわれが
 生活空間としている平地帯はどんな景色だったのか。たぶん、
 鬱蒼とした森林がどこまでも続くような景色だったとしても、そこ
 にはどのような植物が生い茂っていたのか。われわれ人間が介
 在さえしなければ悠久の時を超えて受け継がれ続けてきたであ
 ろう自然とは、どのようなものだったのか。
 わたしは、この日本列島に生まれ、育ち、生き、かつ近々ここに
 骨を埋めていく。とはいえ、自然にとってみれば、わたしなどは
 邪魔者でしかなかったはず。そんな自分でも、いや、そうである
 がゆえに、本来あったはずの自然の姿に全く無頓着なままでこ
 の世を去るとすれば、この大地に対しては、はなはだ不遜では
 ないか。いや、それを知りたいと思うわたしの衝動などは、しょ
 せん身勝手な単なる片思いのようなものに過ぎないのかもしれ
 ない。
 しかし、それを思い描くことによってわたしは、なにやら感傷的な
 郷愁まがいの感慨を追慕していたりするのだが、その一方では
 そこに心躍るような憧憬を掻きたてられてもいる。言い換えれば、
 わたしの中にどうしても湧き上っがってくる興趣の源は、もはや
 恋人を思い慕う抑えがたい心情にも似た一種のロマンと言って
 もいいのかもしれない。本来あったはずの日本の原風景とは?
 
 宮脇先生は、学者として、まさにそこに切り込んでいた。なんと
 いう「かっこいい」人生だろう。
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